一口を始めたきっかけの馬の所在
僕が一口を始めたのは14年産のシルク。とはいっても募集開始時期から参入したわけではなく、本格的に検討を始めたのは年が明けてから。そんなわけで、残口がある馬は確か10頭ほどしかおらず(それでも今と比べたら遥かに多いですが)、選択肢は限られていました。
その中で、
- 須貝厩舎であったこと
- 出資金が2.4万と格安だったこと
が決め手となり、インハーフェイバーという馬に出資することを決意。一口ライフが始まったわけです。
父は失格種牡馬の烙印を押され、すでに故郷に返されてしまったワークフォース。初出資ということでお試し感があったので、正直あまり期待していなかったのですが、新馬の前にはそんな想いを裏切る素晴らしい追い切りを披露。結局デビュー戦は5着に敗れてしまいましたが、その新馬戦は今振り返っても愛馬のレースで1番緊張したレースですね。
その後は骨折で半年の休みがあったりと、最終的には6戦未勝利で勝ち上がりは叶いませんでしたが、1番人気に2回推してもらったり、2着、3着に入ったり。何よりレジェンド武豊騎手に4回も乗ってもらって、間違いなく出資金以上には楽しめました。
川崎競馬時代
中央引退後は、活躍の場を求めて川崎競馬に移籍。サラオクではかなりの高値で売れたように記憶しています。クラブの牝馬だと募集価格の10%で牧場に返すという形なので、高く売れようが安く売れようが入ってくるお金は固定なのですが、それでも嬉しかったですね。父親譲りで致命的に脚の回転の遅い馬だったので地方の小回りが合うとはとても思えませんでしたが、未勝利戦とは言え中央で勝ち負けしていた馬でしたから、格下相手ならやれるだろうと思っていました。移籍初戦は、「(元)愛馬の初勝利」を見届けたくて川崎競馬場まで脚を運びましたね。
中央ではあり得なかった先行する姿(笑)なども見れて楽しかったですけど、結局ここでも勝つことはできず、6戦全敗。最後のレースは12番人気12着とさっぱりだったようです。そして地方でも登録抹消となりました。
引退後の処遇
引退馬の処遇というと、繁殖にあがる 、乗馬になる、研究馬など別の用途になる等々ありますが、大部分が「乗馬」という表向きで引退後の処遇が発表されます。発表された頭数ほど乗馬としての需要があるわけもなく、とある処遇の隠語的にも使われているわけですが、上記のような成績で引退したインハーフェイバーも「乗馬」となってしまうことは覚悟していました。
ただどうやら違う道が拓けたようで、こうして記事にした次第です。
その違う道というのも、先日ネット競馬でインハーフェイバーのページを数ヶ月ぶりに見たのですが、おそらく関係者の方が投稿された写真の一つとして、アフリートファームと題された写真がアップされていました。???と思い早速この牧場を調べてみたのですが、HPなどは無く詳細は分からず…。1番上にハローワークの求人が出ていたのでクリックしてみると、仕事内容に以下の文言が。
仕事の内容
厩舎清掃等の業務全般に従事いただきます。○馬引き、馬の出し入れ、寝藁の交換○馬の手入れ、厩舎内外の清掃、給餌 など*繁殖頭数:4頭*新しい形で始まる繁殖牧場です。働いてみませんか!
なんと繁殖牝馬になれたようです!!いやー、これは本当に良かったですね。
自身の競走成績はさっぱりだったとは言え、兄に重賞馬2頭を持つノーザン生産の良血馬。繁殖に上がらないのはもったいないなと思っていたところ、このような嬉しい情報を得ることができました。
折角なので、初年度の相手を勝手に妄想してみます(笑)インハーフェイバーという馬は、致命的に脚の遅い馬でした。それでも未勝利戦とは言え好走できていたのは、恵まれた馬格から繰り出されるストライド走法により、回転数の無さを一歩の大きさで補完していたためです。もう少し後肢に筋肉があれば胴の長さをアドバンテージにできたのでしょうが、超モデル体型だったため中々厳しかったですね。そうなると、まずメスを入れたいのはワークフォース譲りの脚の(回転の)遅さ。手っ取り早く補うのはサンデーサイレンスの血、というよりその父Haloの血。
ということで、以下なんてどうでしょう?
こんな安直な考えはさておき、生産者の方がどういう判断を下すのか。「インハーフェイバーの2020」の誕生を楽しみにしています。